今日、kindleで本を読んでいた(こういう表現が正しいのか分かりませんが)時、ふと思ったことがあります。

よく考えてみると、元々は分厚い紙媒体だったものが、こういった薄くて軽い電子機器媒体に変わってしまい、さらに世界中どこにいても(正確にはちょっと違いますが)、直ぐに本がダウンロードでてしまう世の中って、なんかここ数年を考えてみても本当にドラスティックに変わってしまったなと。

そして、iPhoneを見てみればtwitterを通して、本来ならばなかなか話す事もできない人たちとも、かなり簡単にコミュニケーションが取れたり、また、リアルタイムで行われている議論も場合によっては参加できたりする事実(恐れ多くてTL見ているだけですけど)って、私の中では、ほんの半年1年くらい前までは、考えられなかったような事なんですよね。

何よりも怖いのが、こういった変化(革新って言ってもいいのかもしれませんが)って、ごく1、2年場合によっては、半年も経たない短時間のうちに起ってしまうにもかかわらず、外から見ると物理的な変化がほとんど起らないので、ぼけっとしていると気がつかないうちに、取り残されてしまう危険があるところだと思います。

今までの革新というと、例えば、自動車が普及したときには、馬車に替わって鉄の箱が走り始めた事がほとんどの人が分かりましたし、電気が普及するときだって、電線が街に張り巡らされたりと、革新が誰の目から見ても明白だったと思いますし、分かりやすかったと思います。
ただ、インターネットの普及のときは、今まであったPCにこれも今まであった電話線が繋がったくらいで、街の外観が大きく変化するような事は殆ど無かったのです。
最新の新幹線に無線LANができる機能が付いたことだって、よく見れば社内に表示くらいでていて分かるのかもしれませんが、無線LANができるからって、新幹線のデザインが大きく変化する事って無いんです。
なので、実は無線LANができるというのを知らない人も多いのではないでしょうか。

こうして、注意していないと密かに革新が進んで行く結果、気がついてみると大きな差ができていた、みたいな事が起るんでしょうね。もう、起っているのかな?
Twitterができなくても人間死んだりはしないと思うんですけど、こういった、インターネットを通じた確認が進んだ結果、人の間で持っている情報量には、知らない間に大きな隔たりができているんでしょうね。
デジタル・デバイドというのは、実は、インフォメーション・デバイドという事なんでしょうね。

kindleで本を読み、時折TwitterのTLを見ながら、そんなような事を、ふと思っていました。
なんか、とりとめもないことを書いてしまってすいません。


※「kindleで本を読む」って表現は、正しいのでしょうか?「kindleを読む」というのも変ですよね。kindleの中に入っているデータは、紙でなくても「本」なのでしょうか。本だったら「kindleで本を読む」でも正しいですね。